那須川天心選手の戦歴を徹底解説

ボクシング

こんにちは!
ボクシングが趣味のリーマンパパ、ichiだよ。

今日は、那須川天心選手の戦歴を徹底解説するよ!

那須川選手は、元キックボクシングの世界チャンピオンで総合格闘家。現在はプロボクサーだよ。

明るく、飾らないキャラクターが人気で、テレビにも多く出演している那須川選手ですが、那須川選手を有名たらしめるのは、その強さ。

プロデビュー以来全戦全勝。
キックボクシングは42戦42勝。
総合格闘技は4戦4勝。

そして現在はプロボクシングに挑戦中。
2023年4月8日のデビュー戦、9月18日の第2戦では見事勝利。2戦2勝。
3戦目は、2024年1月に首都圏以外で開催予定。詳細は未定だけど、今から楽しみだね。

ボクシングでも世界チャンピオンを目指す那須川選手の戦歴を徹底解説するよ!

那須川選手のプロフィール、主な戦歴、獲得タイトルは?その1

那須川選手は、1998年8月18日生まれ。25歳になったばっかりなんだよ。

キックボクシングのプロデビュー戦は2014年7月12日。なんと、15歳!

5歳で極真空手を始め、小学4年生のときに全国大会で優勝(決勝では、自分より20kg以上も重い相手に勝利!)、小学5年生のときに世界大会で優勝し、キックボクシングに転向。

アマチュア戦績は105戦99勝5敗1分37KO。
とんでもない戦歴だね。

プロデビュー後は、16歳でRISEバンタム級王座を獲得。

RISE(ライズ)は、RISEクリエーション株式会社が主催する、パンチ、キック、膝蹴りが有効のキックボクシングのイベントだよ。
同社が主催する試合内で、チャンピオンやランキングを認定しているんだ。

そして、17歳でISKAオリエンタルルール世界バンタム級王座を獲得。

ISKA(アイエスケーエー)は、キックボクシング&総合格闘技の王座認定団体だよ。ルールはRISE同様、パンチ、キック、膝蹴りが有効。

ISKA主催の試合の他、同じルールで行われるRISE等の試合でも、ISKAに「世界で一番強い」と認定されれば、チャンピオンになる仕組みなんだ。

RISE、ISKAの仕組みをわかりやすく説明

いきなりRISEとか、ISKAとか言われても馴染みがなくてイメージが湧きにくい人がいると思うから、ボクシングに例えて整理するね。

ボクシングの試合は、プロモーター(プロモート=開催)と呼ばれる人が開催するよ。
日本の場合、プロモーターのほとんどがジム関係者なんだ。

例えば、井上尚弥選手が所属する、大橋ボクシングジム。
大橋ジムを運営するのが、株式会社フェニックス・プロモーションというプロモーション会社なんだ。

井上尚弥選手の試合は、株式会社フェニックス・プロモーションが主催するよ(他のプロモーション会社と共催することもある)。

RISEクリエーション株式会社が、株式会社フェニックス・プロモーションだと考えてみて。
つまり、試合を主催する会社だね。

当たり前だけど、株式会社フェニックス・プロモーションが主催する試合では、JBC(日本ボクシングコミッション)や、WBA等の王座やランキングが変動するよね。

だけど、RISEにはチャンピオンがいる。
これは、ボクシングで株式会社フェニックス・プロモーションチャンピオンがいるようなイメージなんだ。

対してISKAはWBAのような認定団体。
ISKAのルールで行われる試合結果(主催問わず)によって、チャンピオンが決まるんだ。

だけど、ボクシングのように厳密にランキングが決まっていたり、防衛戦が行われたりしているわけではないのが現状なんだよ。

RISEって何?ISKAって何?と、頭にクエスチョンマークがあると読み進めにくいと思って解説したけど、決して、那須川天心がすごくないってことを書こうとしてるわけじゃないよ。

あくまでもRISEやISKAの理解を深めるためだと考えてもらえると嬉しいな。

那須川選手のプロフィール、主な戦歴、獲得タイトルは?その2

話を戻すよ。

那須川選手はISKAの世界チャンピオンになった年、2016年12月29日に、初めてRIZIN(ライジン)に参加し、総合格闘技の試合を行なっているんだ。

RIZINとは、2015年に設立した、日本の総合格闘技団体。
総合格闘技とは、パンチ、キック、投げ、関節技等、様々な技術の使用が認められている格闘技だよ。

RIZINは、総合格闘技ルールが主体の大会を行う団体なんだけど、キックボクシングルールの試合等、様々なルールの試合を行っているんだ。

その中でも那須川選手は総合格闘技ルールの試合に出場。そして、見事勝利。
キックボクサーが総合格闘技の試合で勝利するってすごいことだよね。

そしてさらにすごいのは、この試合の2日後、12月31日にもう一試合、総合格闘技の試合をやってること。
トーナメント(1日に複数試合をやって、優勝者を決める)じゃない試合で、2日後に試合をするなんて異例中の異例だよ。

ボクシングの試合だったら3〜4ヶ月は空けるのが普通だから。

那須川選手は、2日後に行われた試合でも勝利。

強調しておきたいんだけど、この時点の那須川選手は、まだ18歳だからね。

とんでもない逸材だよね。

その後、那須川選手は19歳でRISE世界フェザー級王座を獲得し、2階級制覇を達成。

20歳の年末に、ボクシングの元5階級制覇チャンピオン、フロイド・メイウェザー・ジュニア選手とエキシビジョン(公式記録にならない試合)で対戦。

さらに翌年、20歳でISKAフリースタイルルール世界フェザー級王座を獲得。

その後22歳でキックボクシングの引退を表明。ボクシングへの転向を発表。

2022年6月19日、23歳でキックボクシングのラストマッチ。
対戦相手は、K-1の3階級制覇チャンピオン武尊。

結果は、1ラウンドでダウンを奪った那須川選手が、5-0の判定で勝利。

プロテストの相手は日本1位?どんな展開だった?

那須川選手のボクシングプロテストは、キックボクシングラストマッチから8ヶ月後の2023年2月9日。
B級ライセンスを受験したよ

B級ライセンスについてはこちらの記事を見てね。

プロテストのスパーリング相手は、日本バンタム級1位(当時)の南出仁選手。
那須川選手は、相手のパンチをもらわない距離を保ちながら、鋭いステップインでパンチを放ち、ほぼ互角の戦いを繰り広げたんだ。

スパーリング後の南出選手のコメント。

取材受けるだろうなって思ってたんで、プロの洗礼浴びるくらい「やってやろう」と思ってたんですけど、強いですね。速いとにかく。

引用:4.8那須川天心デビュー戦 直前スペシャル

当然、プロテストには合格。

ボクシング1戦目はどんな試合だった?

プロテストからわずか2ヶ月後、4月8日に日本バンタム級2位(当時)の与那覇勇気選手と、スーパーバンタム級6回戦で対戦。

那須川選手十八番のトリッキーな動きと、鉄壁のディフェンスで、全く危なげのない試合運び。
2ラウンドにダウンを奪い、4ラウンドには「あわやKOか!?」という場面もあったけれど、最終的には3-0の判定で那須川選手の勝利。

圧倒的な試合だったよ。

この試合で那須川選手は、日本スーパーバンタム級7位、同階級の東洋太平洋(OPBF)8位にランクインしたよ。
しかしながらその後、チャンピオンカーニバルの最強挑戦者決定戦に正当な理由なくエントリーしなかったことで、日本ランキングが13位に後退。

チャンピオンカーニバル・最強挑戦者決定戦とは

チャンピオンカーニバルとは、年頭から4月にかけて各階級で行われる日本チャンピオンの指名試合。

指名試合とは、チャンピオンが弱い相手とばかり試合をしてタイトルを保持し続けようとすることを防止するため、原則ランキング1位の選手を相手に行う試合。
日本チャンピオンの場合、1年に1回、指名試合が義務付けられている。

指名挑戦者を決めるための試合が、最強挑戦者決定戦。
日本ランキング12位以内の全選手と、OPBFチャンピオン、WBOアジアパシフィック(WBO-AP)チャンピオンに出場権が与えられ、出場資格を持つ全選手に、出場の意思確認を行う。正当な理由なく出場を拒否した選手は、日本ランキングが下がり、1年間日本タイトルに挑戦できない(※OPBFとWBO-APのチャンピオンは除く)。

ボクシング2戦目はどんな試合だった?

那須川選手の2戦目は、2023年9月18日。相手は、メキシコバンタム級チャンピオンのルイス・グスマン選手。
スーパーバンタム級8回戦で対戦。

本来、6回戦で2勝しないと8回戦の試合はできないんだけど、那須川選手は、デビュー戦の内容が評価されて、特例で飛び級したんだ。

試合は、終始那須川選手が優勢。

1ラウンド、開始1分でダウンを奪うと、デビュー戦同様、鉄壁のディフェンスとスピードで相手を圧倒。
6ラウンドで2度KOチャンスがあったように見えたが、いったんお預け。
那須川選手も、ラウンド終了後、セコンドに「どうやったら決まりますかね?」と聞いたほど。

7ラウンド目に、2度目のダウンを奪ったんだ。

結果は、相手に1ポイントも取らせない、圧倒的な判定勝ち。
この試合後、那須川選手は日本スーパーバンタム級7位に浮上、OPBFスーパーバンタム級7位にランクアップしたよ。

那須川選手の今後の展望は?世界チャンピオンになるのはいつ頃?

那須川選手の3戦目以降の展望を、那須川選手が所属する帝拳ジムの本田会長が明らかにしているよ。

詳細は未定なんだけれど、第3戦は、2024年の1月に首都圏以外の開催も視野に入れてるみたい。さらに4戦目以降は、海外での試合も視野に入れているようなんだ。

また本田会長は、那須川選手の世界線について「10戦目までの世界挑戦は絶対にさせません。というか(実力的に)できません。」と語っているよ。
ボクシングは年3〜4試合が平均だから、早くて2025年中には世界戦が見れるかもね。

それと同時に、こうも言っている。

私が60年以上やってきて見たことないものがあるのは確か。だから、大事に育てています。期待していてください。ただし、時間はかかります。それでも、世界王者になることは私が保証します。絶対に世界王者にします。

引用:YAHOO!JAPANニュース


今後の試合からも目が離せないね!

今回はここまで。

記事に間違いがあったり、他にも知りたいことがあったりしたら気軽にコメントしてね!

では!

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