井上尚弥選手のアマチュア戦歴は?井上選手に勝った5名とは?

ボクシング

こんにちは!
ボクシングが趣味のリーマンパパ、ichiだよ。

今日は、井上尚弥選手のアマチュア時代にフォーカスするよ。

プロ入り後無敗の、井上選手のアマチュア時代の戦績は81戦75勝6敗

ものすごい戦績なんだけど、やはりここはプロ入り後無敗の世界4階級制覇王者でアジア初の主要4団体世界統一王者(バンタム級)かつ現WBC&WBO世界スーパーバンタム級統一王者で、史上2人目の主要4団体世界統一王者を目指す井上選手(情報量多すぎ!)の6敗が気にならない!?

果たして誰に負けたのか。
井上選手に勝った選手は、いま何をしているのか。

解説していくよー。

井上選手の1敗目。その相手は?

井上選手の1敗目は、高校1年生で出場したアジアユース選手権。

1敗目がアジアユース選手権ってのがすでにすごい戦歴なんだけど…、詳しく見ていくね。

高校生は、年に3回、主要な大会があるんだ。

高校生の主要な大会
  • インターハイ…8月頃に開催
  • 国体(国民体育大会)…9月中旬から10月中旬に開催
  • 選抜(全国高等学校選抜大会)…3月に開催。時期的に高校3年生は参加不可。

井上選手はなんと、高校1年生で3大会全て制覇しているよ。

井上選手の1敗目は、国体のあとに出場したアジアユース選手権。
マスード・リギ選手という、イランの選手に1-7の判定負けだったんだ(それでも銅メダル。すごい!)。

井上選手は試合後、下記のように語っているよ。

先に1点取られると、ペースを取られたまま、亀になって逃げられる。国際ルールでの戦い方に、経験の差を感じた

引用:ボクシングマガジン2010年5月号

マスード・リキ選手のその後については、残念ながら記録が見つからなかったんだ。

アジアユースと同月に行われた選抜では、バシッと優勝してるよ!

井上選手の高校1年生の戦績
  • 2009年8月 インターハイ優勝(モスキート級)
  • 2009年10月 新潟国体優勝(ライトフライ級)
  • 2010年3月 アジアユース選手権銅メダル(ライトフライ級)…1敗目
  • 2010年3月 選抜優勝(ライトフライ級)

井上選手の2〜4敗目

井上選手の2〜4敗目は、高校2年生の時。それぞれ、世界ユース選手権・インターハイ・全日本アマチュア選手権の出来事だよ。

井上選手の高校2年生の戦績
  • 2010年4月 世界ユース選手権ベスト16(ライトフライ級)
  • 2010年8月 インターハイベスト8(ライトフライ級)
  • 2010年10月 千葉国体優勝(ライトフライ級)
  • 2010年11月 全日本アマチュア選手権準優勝(ライトフライ級)

    ※2011年の選抜は、東日本大震災の影響で中止

井上選手の2敗目

世界ユース選手権(ライトフライ級)でベスト16だった井上選手。
その井上選手に勝利したのが、キューバのヨスバニー・ベイティア選手。判定はなんと0-11。井上選手に1ポイントも取らせずに完勝しているんだ。

帰国後、この敗戦を映像で確認した井上の父、真吾氏は「彼(キューバ代表)がどうかよりも、世界の選手がどんな戦いかたをしているのかさえ事前に分かれば、もう少し善戦できた」と、リベンジに燃えていた。

引用:ボクモバニュース

その後井上選手は、2012年の世界ユースに出場する選手に次のアドバイスを送っている。

初の海外遠征になる選手が多いので“国際大会の距離”に戸惑うと思います。距離は遠いし、外国人は逃げるときは逃げるんですよ。日本人はそれをうまく追えないと思います。そうなると1ラウンド目を取るのが重要ですね。

引用:ボクモバニュース

井上選手は、2023年7月25日に行われたスティーブン・フルトン戦の振り返りの中でも、こう言っている。

そこはもう作戦ですね。必ず1ラウンド目はポイントとる。

引用:超えろ。挑戦者・井上尚弥の真実

井上選手の1ラウンド目へのこだわりは、これらの敗戦から生まれたものなのかもしれないね。

ヨスバニー・ベイティア選手は2021年の東京オリンピックにも参加しており、5位。その後プロ入り。2023年4月15日、那須川天心選手の2戦目の相手になる予定だったフアン・フローレス選手とも試合をしているよ(結果は負け。フアン・フローレス選手が新型コロナウイルスに感染してしまったため、那須川選手の2戦目の相手は変更されたよ。)。

井上選手の3敗目

インターハイでベスト8だった井上選手。
このとき勝利したのが、兵庫県のボクシングの名門校、西宮香風高校の野辺優作選手。当時は定時制高校の4年生。

ヤマ場は1日の相模原青陵(神奈川)・井上尚弥(2年)との準々決勝。高校3冠の「具志堅2世」相手に、野辺は「足を使って打ち合わない大人のボクシング」と冷静な試合運びで判定勝ち。この勝利で勢いに乗った。

引用:日刊スポーツ

井上選手は、1,2敗目同様、足を使い自分のボクシングを貫いた選手に判定負け
今でこそ、圧倒的なダッシュ力と攻撃力で、距離をとる選手からもKO勝ちを量産している井上選手だけど、当時はまだ成長途中だったんだね。

野辺選手は、1年前のインターハイ(ライトフライ級)でも優勝。今大会でも優勝し、インターハイ2連覇を果たしたよ。
その後は拓殖大学に進学。井上尚弥選手のいとこの井上浩樹選手(現WBOアジアパシフィックスーパーライト級王者)と同級生だったんだ。
現在はボクシングから離れてしまったみたい。

井上選手の4敗目

全日本アマチュア選手権。
初出場の井上選手は、決勝戦で駒澤大学3年生の林田太郎選手と対戦。結果は6-4の判定で、林田選手の勝利。
林田選手は、井上選手がWBC&WBO世界スーパーバンタム級統一王者となった現時点で、井上選手に勝利した最後の日本人選手なんだよ。

現在は駒沢大学ボクシング部でコーチを務める林田選手は、この試合ののちにも2度、井上選手と対戦しているんだ。結果は井上選手の2勝。

2戦目は、8ヶ月後の2011年7月。世界選手権の選考会。13-11の判定で、井上選手の勝利。

3戦目は、翌年の全日本アマチュア選手権決勝。12-2の判定で、井上選手の勝利。

ドネア戦(初戦は12ラウンド判定勝利、2戦目は2ラウンドTKO勝利)もそうだったけど、井上選手は再戦に強いね。敗戦から学び、修正して、結果を出すのが本当にすごい。

林田選手との対戦でも、毎回進化していたみたい。

2度目は翌年の世界選手権代表選考会。ほぼ互角も井上が判定勝ち。「井上選手はいきなり連打するくらい、初回から出てきた。私が後半勝負型だから、前半に集中的に詰めて先行逃げ切り型にシフトしてきたのはすごいと思う。前半に攻めるから審判の印象も良くなる。審判を“味方”につけるという意味でも、インテリジェンスの高いボクサーであると思う」。そして3戦目となった11年の全日本では完敗した。ラウンドごとの公開採点で大差をつけられ「完全に負けた」という。「世界選手権で学んだことをいかんなく発揮してきた。足を使うなど、1年間でだいぶ変わっていた」と林田さん。センスもあって、近距離でも長距離でも戦える。全日本選手権という大舞台で、強い相手にファイターからアウトボクサーに変わって戦うことはそう簡単にはできない。「そういう戦い方ができるのは、ものすごい努力をしてきた証拠です」

引用:スポーツ報知

井上選手の5敗目

井上選手の5敗目は、高校3年生で出場した世界選手権。

井上選手の高校3年生の戦績
  • 2011年7月 インドネシア大統領杯国際ボクシングトーナメント優勝(ライトフライ級)
    ※25カ国の選手が参加
  • 2011年8月 インターハイ優勝(ライトフライ級)
  • 2011年10月 世界選手権ベスト16(フライ級)
  • 2011年11月 全日本アマチュア選手権優勝(ライトフライ級)


世界選手権の3回戦。
井上選手は、高校2年の時に完敗した、キューバのヨスバニー・ベイティア選手と再戦。

結果は15-12の判定で、ヨスバニー・ベイティア選手の勝利。
初戦よりもだいぶ差を縮めたけれど、力及ばずだったんだね。

ヨスバニー・ベイティア選手は、唯一井上選手に2勝し、負けていない選手なんだよ。

井上選手の6敗目

井上選手の6敗目は、高校卒業後に出場したアジア選手権。
現時点では、井上選手が最後に負けた試合だね。

井上選手の高校卒業後の戦績
  • 2012年4月 アジア選手権準優勝(ライトフライ級)
    ※ロンドンオリンピック予選会

高校3年生で出場した世界選手権の敗戦で、ロンドンオリンピック出場を逃してしまった井上選手。
オリンピック出場を目指して参加したアジア選手権の決勝で、地元カザフスタンのビルジャン・ジャキポフ選手と対戦。

結果は16-11の判定で、ビルジャン・ジャキポフ選手の勝利。

ビルジャン・ジャキポフ選手は、2005年の世界選手権で銅メダルを獲得し、2008年の北京オリンピックでベスト8になった選手。
井上選手に勝利して出場したロンドンオリンピックでもベスト8。2013年の世界選手権では金メダル。2016年のリオデジャネイロオリンピックにも出場したよ(結果は2回戦敗退。2回戦の相手は、ウズベキスタンの金メダリスト、ハッサンボーイ・ドゥスマトフ選手。)。

「練習してきたことが、2割も出せませんでした」
 相手との実力差うんぬんではなく、自分の力を出し切ることができなかった。
「気負いすぎていましたね。自分は大振りになるし、相手のパンチはもらうし。大事な試合でそういうミスをしてしまった。そこからですね。試合はとにかく平常心でやろうと強く心に決めました」

引用:CoCoKARA

オリンピック出場への気持ちが強かった井上選手。
だけど、この敗戦後、プロへの転向を決意。

「4年あって、オリンピックに挑めば確実にメダルは獲れると思ったんですよ。18歳、高校3年の年に、肌で感じ、4年後の22歳、一番良い時期に挑めるなら絶対メダルは獲れると思ったんですけど、4年あればプロに転向して世界チャンピオンにもなれると思ったんです」

引用:デイリースポーツ

井上選手がプロテストに合格したのは、アジア選手権からわずか3ヶ月後の2012年7月10日。
当時の日本ライトフライ級チャンピオンの黒田雅之選手を、何度もコーナーに追い詰める圧倒的な内容だったんだよ。

プロテストから3ヶ月後の10月2日にプロデビュー。
東洋太平洋7位の相手に、4ラウンドTKO勝利。

2014年4月6日には、WBC世界ライトフライ級王座を獲得。

「4年あればプロに転向して世界チャンピオンになれる」と言った、最後の敗戦から4年後には、2階級制覇チャンピオンになっていたよ。

まとめ

プロデビュー後無敗の井上選手のアマチュア時代、井上選手に勝利した選手は下記の5名。

  • マスード・リギ選手(イラン)
  • ヨスバニー・ベイティア選手(キューバ)
  • 野辺優作選手
  • 林田太郎選手
  • ビルジャン・ジャキポフ選手(カザフスタン)

これらの敗戦が井上選手をさらに強くしていったんだね。

今回はここまで。

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